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F次元のはじっこで

藤子・F・不二雄ファンによるブログ。ドラえもん関連の記事をかいてます。イラストサイト運営。
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継続と分断、あるいは

映画ドラえもん のび太の宝島 公開から数日が経った。鑑賞後のアツアツの感情はやや冷め、日常が戻ってきつつある。けれどもTwitterにはドラえもんファンたちによる賛否両論のアツい感想が続々と投稿されていて、やっぱり見てしまって再燃する、ということを繰り返している。それにしても今年ほど好き嫌いの激しい作品も無いなぁ。

小説版とサントラを買おうと近所の書店に行ったら無かったので、Amazonで注文した。読んだらまた感想が変わるのかな、それを踏まえてまた記事を書こうかなとも考えたけど、とりあえず、今の心理状況での記事をもういちど書いておくことにした。




宝島に対するこの何とも言えない嫌な気分は何なんだろうか。


結局、予告の時点で生まれたネガティブな印象がまずあって、否定する理由を映画館で探していたんじゃないかと。前の記事で書きなぐった批判的内容はすべて後付けで、結論は見る前から出ていたのだ。


それにしても、自分がこういう嫌いなこと探しをするのは本当に珍しい。特にドラえもんに対しては。

このブログにもある、過去の映画の自分の感想を見返すと、作品への評価軸はそんなに固定されてないことに気づく。微妙やなと思う作品もある。でも、そう思ってもその映画の良いところを評価するような評価軸を都度立てる傾向にあると自分では思っている。

その証拠に、去年のブログに「カチコチの良かったところを考えていたら、どんどん前作の新日本誕生の好きじゃないところが見えてきてしまって」と書いてある。どちらの作品も大好きなのだけど、作品の方向性が違うので、こういう内的ジレンマが生じたのだ。

そんな僕が、今年は思いっきり批判する方向に振り切っている。これはもう、はなから肯定する気が無いのだと思うしかないよな…。


さて、この宝島に対するネガティブな気持ちいろいろこねくり回してみたい。キャラデザに象徴される大山ドラ回帰の影。それはもちろん嫌なのだが、もっとなにか、漠然としたものがあると思っている。

それは、これまでのわさドラの歴史を分断するような、ないがしろにされたような感覚。

映画は毎年監督もキャラクターデザインの人も違うけれど、たしかに繋がっている何かがある。
例えばキャラデザ。恐竜2006で大胆に変えられたそれは、鉛筆の強弱や粗さをでもって髪の毛の存在や衣服の揺れを強調したものだった。それはしばらく継承されるが、次第に落ち着き、ひみ博で完全に無くなる。ゲストキャラのデザインは、恐竜2006のドルマンスタインや新開拓使のギラーミンのようなリアルタッチから、奇跡の島あたりを境目に、ほかのF作品からの引用が増え、F作品らしい顔立ちや頭身となっていった。
オリジナル作品の内容だってそうだ。緑の巨人伝、人魚大海戦のような、なにか壮大な地球の危機を壮大な冒険によって解決しなければならないという縛りのあった初期から、ひみ博で完全にふっきれて、スケールは小さくともわさドラらしさを存分に生かした作風へと変化していった。もちろんそれで完全に満足しているわけではないけれど、そういう流れの上で揺れながらも確立してきたわさドラという存在を応援していたのだ。

宝島は、こうした文脈を無視した存在だと思っていて、それが自分の中で許せないポイントになっていると考える。
大山ドラ寄りのデザイン、Fらしくないゲストキャラクター(フロックとセーラは除く)。音楽担当も沢田完さんじゃないし、OPもなかった。エンディングの映像も去年までとのつながりを感じさせるものじゃなかったし、もちろん作風もかなり異なる。

言いがかりだよそれ、というものもあるのは自覚してる。だけど、やっぱりこれまで積み上げてきたわさドラという歴史の上に無いアニメドラえもんだという印象はやっぱり、ぬぐい切れないのだ。
(宝島にカチコチの極地探検スーツが出てきたじゃないか、と言う人もいるかもしれないが、そういう話をしているわけじゃないのはお分かりだと思います)


スタッフも、これまでドラえもんに関わってこなかった人が例年より多い。それが悪いとは言わないけど、自分の狭い視野からは、どうしても、「わさドラのこと何も知らないくせに、俺の領地に外野から土足で踏み荒しやがって」という過激な気持ちがめちゃくちゃ溢れ出てくる。
そう、僕はもともと過激派なんだ。良きファンであろうとして色々制御してるところはあったけど、今年はもう成すすべもなく過激な本性が噴出してしまった。


来年は八鍬さんが監督だろうということで、内部の人だからやっぱりこれまでの歴史の延長線上にあるドラえもん映画を拝めるんだろうと期待している。とりあえず、来年に関しては。

こういう考え方はコンテンツの可能性を狭める良くないものだという自覚もあって、だからこそ寛容になりたいという気持ちも強い。でも、去年まで出来ていたその寛容行為が、今年はほとんど機能しない。好きなところ探しは、今年はあんまりできそうにないや。ごめんね、ドラえもん。


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アイアイサー!映画ドラえもんのび太の宝島を観てきたの巻

2018年3月3日、TOHOシネマズ 六本木ヒルズにて、「映画ドラえもんのび太の宝島」を観てきた。初日初回、舞台挨拶!舞台挨拶に来れたのは宇宙英雄記以来3年ぶり2回目。関智一さんの独壇場でけっこう笑えた。

鑑賞後は同じく舞台挨拶を見に来ていたドラ仲間達と近くのファミレスで反省会。そこで話しながら感じたことも含めて、以下、ネタバレ込みでつらつら書いていこうと思う。


~以下、ネタバレあり感想~

宝島みたび

寛容でありたい、中庸でありたいという願望が非常に強いとずっと思っていて、仕事として関わりの薄い同僚、利害関係のない友人など、距離を置ける人に対してはそれはある程度うまくいっている。でも困ったことに、距離が近づくと途端に相手の一挙手一投足が許せなくなってしまう。―――特に家族には冷たくあたってしまう、おそらく家族からはドライで怒りんぼだと思われてるだろうな。

これほどまでに、映画ドラえもん「宝島」に対して負の感情が生じてしまっているのは、たぶん、ドラえもんという存在が近すぎる、いや、自分の内部の深いところまで沈着してしまっているからなんだろう。他の「好きな」アニメでこういう感情は起こらない。

宝島の予告第3弾が発表され、主題歌である「ドラえもん」が話題となった。
ポップな曲調で歌詞はドラえもん愛にあふれているし、もともと自分は星野源さんの曲が大好きであるので、予告第2弾までの不安はふっとび、一気に公開が楽しみ~♪になった。聴きすぎて脳内エンドレス再生し、仕事に支障も出た。
映像も、キャラデザは置いといて、よく動くし、日常パートの雰囲気がとっても気に入ったのでそちらも楽しみになっていた。

しかし状況は変わる。ラジオで「ドラえもん」がフルで聴けるということで早速聴くと、間奏に「ぼくドラえもん」のメロディーがアレンジされて入っていた。しかもかなり露骨に。それで、過去2つの記事を読んでくださった奇特な方なら分かると思うけど、一気に萎えてしまった。


出てくる新らしい情報がなぜこうもことごとく大山ドラ要素たっぷりなんだろう。制作陣が、世代的にグっとくるドラえもん愛を詰め込んでみた結果がたまたま大山ドラ成分多くなりました、だとしたら、それはドラ歴史を知らなさすぎるんじゃないか。歴史には不可逆性ってものがある。

まあ、あの大山ドラ回帰で動いている映像になら、間奏は「ぼくドラえもん」で逆に正解だよなと、ひねくれた感想も持ったりした。


ここ最近のアニメ業界における過去の作品のリメイク・続編ラッシュは、正直いかがなものかとも思っている。でもそれは本論からずれるので触れる程度にしておきたいけれども…
でも、やはり幼いころに楽しんだ作品が大人になった今、よみがえるのは嬉しいもんだ。だいたいは過去作のオマージュも仕掛けられていて、そこもニクい演出。あー懐かしいなぁ、あのころは楽しかったなぁと、思い出とともに新作を見られる喜びは大きい。

そんな気持ちを持ちつつも、過去のコンテンツにすがっていつまでもやっていくのってどうなの?という負の感情は横に潜んでいて。近いうちに、東京五輪という完全に年取った大人たちによるセルフリメイクイベントがあるし、そのテーマソングが東京五輪音頭って…っていうまあこれこそ関係ないが、現代の日本全体が共通して陥ってしまっている時代現象のひとつとしての文脈でとらえることもできる。

そんなこといってると、いやおまえ、藤子・F・不二雄っていう、もう20年も前に亡くなった人の作品をいまだに第一に楽しんでいるって、どれだけ過去の遺産にすがってるのだと言われてしまいそうだ。何より自分がそう思ってしまっている。

でも…ドラえもんは過去の遺産なんかじゃない、いまの、現在進行形の、コンテンツなんだと、胸をはって楽しみたい、というジレンマ。その、現在進行形の象徴が自分にとっては2005年から始まった新・ドラえもんなのだ。

現在進行形で子どもが楽しんでいる、現在進行形で自分が楽しんでいる。そんな場所に、過去の要素、しかもかつて公式自身がそこから脱却したはずのもの、をいきなり嬉々として持ってきた。全力で。総動員で。




なんの屈託もない笑顔で大山ドラ成分を持ち寄られ、これが俺たちのドラえもん愛だと言われて、しかもそれが公式であった。




とりあえず、一か月後だね。

宝島への地図

昨日は勢いに任せて宝島に関するブログ記事を書きました。
Twitterでも反響、というか、これを機会に~という流れでいろんな人がそれぞれの思うことを呟いていて、僕としてもいい視点を得られました。とまあ好意的に書いてますが、別に自分の考えが正しいとは思ってないし、やはり感情的になりすぎてるなぁ自分、と思いながら今もいてます。

今回は、またまた自分の思考の整理をするとともに、他のファンの意見や視点を集めて、自分の意見を書こうと思う。
備忘録のような、まとめ記事のような記事です。


①そもそも大山ドラに似ているのかどうか
前回に記事では「宝島のキャラデザは大山ドラに似ている」ということを前提にしてますが、まずこれ、事実なのかどうか。主観なのではないか。
似ているかどうか、はかなり主観に頼ったうえでの主張かなとは思ってます。ただ、いくつかポイントはあります。
・黒目が小さい(申し訳程度のハイライト)
・ドラえもんの逆三角の大きな口
・しずかちゃんのおさげが小さい
・しずかちゃんの目

とまあこれも主観といえば主観…
Twitterでも「似てる」という声はそこそこ多いので、自分だけの主観ではないのは確かなんですが。

あとは、キャラデザ担当の方のTwitterのやりとりからですかね。引用は避けますが、本人たちが子供だった頃のドラえもんを意識してデザインしたことをほのめかしています。ただ、ちょっとその発言がどうも…わさドラのこれまでの歴史をガン無視したようなニュアンスにとれる…というかTwitterだと背後の文脈が分からないし、あんまりこそこそバナシしたくもないので、インタビュー記事を載せた映画ドラムック本とか出してほしいです、めっちゃ読みたい。


②似てるといっても大山ドラのいつ頃のことを言ってるのか
最初期の大山ドラ…ですかね。後期には似てるとは言えないと思います。
キャラデザスタッフに詳しい方々の知恵の結集は面白いんですが、僕は「わさドラキャラデザ」に対応する広義の「大山ドラキャラデザ」を言っているのであって、どの時期には似てない似てるという狭義の話はしてないです。そもそもそんな全く一緒の絵なら、今自分がやいのやいの言ってるような議論になってないでしょう。


③キャラデザの幅広さがわさドラらしさなのでは?
そうなんです、まずそもそも短篇と映画とでキャラデザが違うというのが恐竜2006の時から続くウリなんですよね。去年のカチコチのキャラデザも結構雰囲気違いましたがかわいかったし、むしろ変化があったほうが新鮮味があって僕は好きなんです。
奇跡の島も、特にスネ夫の口が、かなり独特ですよね。あれは好き嫌い別れる。

あれだけ振り幅の大きいキャラデザを持つわさドラにあって、なぜ宝島は僕が拒否反応示しているかというのは、ただ一点、大山ドラに似ているからです。それだけです。

だから、コレ以外の議論はすべて感情論です。大山ドラに似ていないのであれば、奇跡の島も、SBMも、カチコチのしずかちゃんも、キャラデザがめっちゃ違っても僕はOKでした。似ているから拒否反応が出てるんです。理由は、前の記事に書いたようにトラウマ化してしまったからです。


④むしろキャラデザより予告編が下手なのでは
それは僕の気になるポイントからハズレているのか、パッと何も気にならなかったので本論では割愛します。興味めっちゃあるのでぜひバシバシ語って欲しいです。


⑤わさドラ、大山ドラと連呼すると声優の話になるようで嫌
それは確かにな、と思った。馴染みのある呼称だったから安易に使ったけど、「前ドラ」「現ドラ」とか、あまり使われない単語を使った方が良かったかもしれない。




とまあ、ぐだぐだ書いたけど、まとめると、

宝島のキャラデザは大山ドラに似ている
・パッと見で大山ドラっぽさを感じさせるのは確か
・担当者が大山ドラを意識してデザインしたのもおそらく事実
・ここで言ってる大山ドラとは広義の大山ドラ



キャラデザがいつもと違うことではなくて、大山ドラに似ているのが問題
・キャラデザが違うのはいつものこと、むしろわさドラらしさ



大山ドラというコンテンツ自体にイセさんは過剰な反応をしてしまっている
・大山ドラ「信者」からのトラウマ(前記事参照)



よって本人の意志と無関係に感情的になってしまい、宝島を素直に楽しみにできない


よし、まとまりました。



最後に、これは言わないと無責任になってしまうので…
今回ブログで僕は自分がどう思っているか、感じてしまっているか、を整理するために文章を書いた。が、こうしてワールドワイドに公開している以上、宝島を純粋に楽しみにしようとしているファンの人達には水を差す行為になってしまっていると思う。Twitterで宝島楽しみ♪と言いづらい雰囲気にさせてしまっていたら申し訳ない。
僕は別に偉い人でも権威ある人でもないので、僕のことはほっといて語っていてもらいたい。まあそんな小さいことをクヨクヨ考えるのは僕くらいだとは思うので、心配はしていないけれど。

同調する楽しみ、対立する楽しみ。それはファン-ファン、ファン-公式に限らず、楽しいことだと思うので、ぜひこれからも大いに語り合っていきましょう。


あとは…本篇見ないとこれ以上は憶測では語りようがない!なのではやく3月3日になってほしいなぁ。

宝島への道中

2018年ドラえもん映画、「宝島」の予告編2が先日公開された。
宝島に関して、前々からマイナスの方向の感想を抱くばかりだったのだけれど、最新映像を見て、一通り盛り上がったところで、やはりなにか引っかかりを感じてしまった。

Twitterでは断片的な、ぼんやりとした感想を撒き散らしていたけれど、一度自分の中でこの気持ちを整理したいなと思ったので、
ひさびさにこのブログを活用することにする。正直自分でもこの負の感情が嫌で仕方ないのだけれども、整理することで何かしら分かったらいいなと、文章を書く前は思ってます。

というわけで、宝島を楽しみにしてる人には申し訳ないような内容になると思います m(_ _)m




まずは、現状分かっている宝島に対する「嫌な」ことは…
・絵柄を大山ドラに似せていること
・音楽担当をいつもの沢田さんから変えたこと

…あれ、これくらいか。

絵柄が大山ドラに似せているという点が多分この感情の9割くらいの原因だと思う。絵柄というか、それが他のすべてを象徴しているというか…



このもやもやを作っているのは、このところの「大山ドラ回帰」的な流れに対する嫌悪感、かな。なんだか、過剰なまでに、自分は大山ドラというコンテンツに対しての苦手意識が高まっているらしい…。絵を見るのも、声を聞くのも、嫌になってしまった。
二次創作としての大山ドラも、作者の方々には申し訳ないけれど、拒否感が正直強い。

といいつつ、実際に大山ドラ(短篇・映画どちらも)をDVDや配信で見ると、めっちゃ懐かしいし楽しい。このへんが非常に微妙な感情で、正直自分のことなのによく分からないのだ…。

これは前から思っていたことなんだけれど、2005年のリニューアル以来、大山ドラ「信者」わさドラへのバッシングを見続けてきた自分は、かなり屈折した思考になっているんだと思う。どれだけわさドラが面白くて、楽しくても(そうでない時期もあったけど)、大山ドラ信者はまったく見当外れの批判をし続ける。そんな言葉を何年も何年も耳にし、目にし続けた。
いつしか、大山ドラ信者に対する負の感情は、大山ドラそのものへの感情にすり替わって行ったんじゃないか。


いまやわさドラは世間にも受け入れられた感があるし、数年間短篇・映画ともども黄金期だと言える。ずっっと応援してきたいちファンとしては非常に嬉しいし、大手を振ってファンでいられる…と思っていた。


けれども、ここ最近、また変化が出てきている。
大山ドラ回帰現象。

二次創作でもよく見るし、公式でも大山風BGM(新日本誕生)があった。六本木のドラえもん展でも、まあアーティストの年代的に仕方ないけど、大山ドラをベースにしたものが多かった。

なんというか、揺り戻し現象というか、
わさドラになってから10年以上が経った今、大山ドラとの軋轢みたいな、対立みたいなもののほとぼりが冷めてきている。大山ドラとの決別、新しい「ドラえもん」を作っていくんだ!みたいな方向性の熱はなくなっていって、大山ドラの良いところはどんどん取り込んでいこう、とか、思い出語りを思いっきりしよう、とか、そんなの。

それは非常に良いことで、逆に、わさドラへ配慮して大山ドラが好きだと声高に言えなかった層もそれはそれで大勢いたんだろうなとは思う。

全然まとまってないけど、わさドラを「かばう」ことをしなくても大丈夫な地位と実力を得た現在、「大山ドラのここが良い」ということを、素直に、「わさドラ否定を含まずに」語れる時代になっているのだと思う。それは勿論、ファンだけじゃなくて、公式も。


で、ようやく宝島の話題に戻るが、完全に公式が「大山ドラ回帰」を意図的にしていると思わざるを得ない。もちろんキャラデザの人が初の人だから、その人が個人的にあのデザインが好きでやっているという面もあるんだろうけど…それにしても明らかにわさドラの絵からかけ離れてる。

そりゃ意図があるかどうか、は勿論わからないけど、
意図が無ければこれまで通りの絵柄でいくはずで、
意図があるから変えるのだ。
ああ、なんでこんな攻撃的なことを自分は書いているんだろう…

2005年から、面白いときも面白くないときもずっと応援してきたわさドラ。原作となんか違うことになってきていても、それがわさドラらしくて良いところ、と自分を納得させて、その時期ごとに楽しみや見どころを見出してきたわさドラ。そのわさドラらしさをどんどん進めてきた近年の映画を楽しみにしていた…

なのに、今回その公式から手のひらを返されたような感じになっている。
絵柄が違うのは毎年のことだけど、明らかに大山ドラに似せた絵柄。そして音楽担当まで変えてしまった。正直、素直な気持ちで宝島を応援できない状況になってしまっている。宝島を応援することは、大山ドラ回帰を支持することなんじゃないか…と自分の勝手な結論が出てしまった。


絵が大山ドラ風なのは他の人も思っているようで、大山ドラらしくて懐かしくて良いぞ、というツイートも何個か見た。

やはり、あの頃の大山ドラ「信者」の言葉がトラウマになってるんだろうか…「大山ドラが良い」というフレーズがあると、その背景やその人の思いなんてすっ飛ばして、辛くなる。過剰反応なんだろうな。



全然話がまとまらないけど、更に別のことも書いてみる。

アメリカのトランプ大統領が、政治的に正しくないけど、と前置きしたうえで、本心を言いまくり、それが「いいたいことがいえない」フラストレーションのたまった層の支持を得ている、みたいな話は、多分ファン活動においてもめっちゃある。
いわばファン活動におけるポリコレ問題。

政治的には、2005年以降はわさドラを応援するのが筋。もちろん大山ドラは否定されることは無いけれども、復活を言うのはファン的にはばかられたはず。(そこを復活復活言うと、大山ドラ「信者」扱いされる)で、前述したとおり、わさドラもすっかり定着した現在は、大山ドラを語りやすい状況にはなった。

Twitterは「みんなの好きを語る場」であるため、基本的に否定的な話はしにくい。自分の嫌いも、他人の好きであるかもしれないから。

でも、そういうのを溜めていくと結局フラストレーションがたまってしまう。今思い返すと、これまでの10年は大山ドラファンにとっての耐え忍んだ時期だったのかなぁ。そしてこれからは、わさドラファンの耐える時期になるのだろうか…

「正しいこと」と「感情」との関係は、結局分野を問わず難しいのであって、集団としてのファン活動をしている限りは、少なくともTwitterという場においては、その問題はきっと抱えながらやっていくしかない。
だからこそきっと、少数の意見が合う人とのオフ会が楽しいわけで。(そういう話だっけ)


というわけで、メタ的だけど、こうして否定的なことを存分にアウトプットすることによって、自分は発散が出来たし、諸々の感情の整理も少しはできたと思う。

ファンは公式を追うしかできないのだし、再来年の映画はまたガラッと違うことになるんだろう。それがまたどのようにこれまでと違うのか、その違いがわさドラという範疇に含まれると自分の中で納得できるか、はまた別の話だけど、見守るしかない。


素直に楽しみだと言えないわさドラ映画は初めての経験だけど、来るべき3月3日に向けて、普段通り待っていけたらいいなと。



めちゃくちゃ長くなった。読み返すとどんだけわさドラLOVEなんだよという感じだけど、多分LOVEなんだと思う。

パラレルソレイユ#8 夏コミ

こんにちは、イセです。

ぼくらの夏が近づいてきました!今年も藤子不二雄トリビュートマガジン「パラレルソレイユ」で夏コミに参加します。といっても例によって寄稿だけの参加です…冬は都合つけて現地に行きたいな~とか。

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イベント:コミックマーケット92
頒布日:2017年8月12日(土)
スペース:2日目・東テ-58a
ページ数:100ページ超え
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代表ひぐちあきさんの告知ツイート


表紙は大長編ドラえもん!TRUTH-PPさんのイラスト、素敵ですね~。現物を見るのが早くも楽しみです。



ぼくはというと、「アナザースーパーマン分岐点氏」と題して、「左江内氏」の漫画を描きました。今年の頭にドラマ化されて一躍有名(?)になった左江内氏。漫画描くなら今しかないだろうと(笑)。
今回、作画の雰囲気をいつもと変えてみました。原作から離れて若干リアルめに…しかし気を抜くとFタッチに戻る…慣れないことは難しいw。大人っぽい感じは出せたと思います。原作の最終回のアナザーストーリーといった趣に、ドラマの世界観を若干足したような内容。なんとあの人も出てきますよ!顔の造形が違いすぎてもはや別人

分岐点氏


というわけで、ぜひぜひコミケ2日目はパラレルソレイユへお越しください☆



覚悟はいい? 映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険を観てきたの巻

3月4日。今年もやってきた、年に一度のドラ祭り。
監督は、テレビシリーズでサイエンス描写に定評のある高橋敦史さん。

南極カチコチ大冒険という、一見かわいらしいタイトルとはうらはらにシリアスな予告編。
超オシャレなイメージボード。

というわけで、期待に胸を膨らませて観てきました!



---以下、ネタバレ---



はい好きです。カチコチ。
すっげー!

科学的解説がガチだった。すごくよく調べてて、それをわかりやすく、しかも正確に描写するぜ!というパワーを感じた。具体的な所はのちのち列挙するとして、こういった科学要素はすごくFイズムを感じる。わりとファンタジーに寄りがちなオリジナルドラ映画の中で、かなり健闘している。ほぼ完璧と言っていいと思う。

科学的根拠がしっかりしてると、観てて非常に安心感があるなぁと思った。

一方で、ヒューマンドラマは限りなく省かれてた。第一印象は「ドライ」だなと。無駄に上げ過ぎず下げ過ぎない感情の起伏が、なにかとウェットになりがちな昨今のドラ映画と比べて好印象だった。って、ウェットなのは渡辺歩監督の系譜だよね。とするとかれこれ二十年近くこのウェットさは続いてたことになるのか。
ドライな映画を観て感じたのは、感情を揺さぶられて疲れなくていいなと(笑)

登場人物の少なさも特殊。レギュラー陣5人に加え、人間タイプのキャラは2人のみ(回想でヒョーガヒョーガ星人がちょっと出るくらい)。両親すら一瞬。まあパオパオは沢山出るけど。重要なのは2匹だけだしな。「のび太の恐竜」より人物少ない。
ストーリーが時間軸を行ったり来たりして難解なぶん、キャラは限りなくコンパクトにしたんだろーか。結果としてはシンプルで良かったし、余計なヒューマンドラマを挟まずに済んで監督の意向ともハマってたし、何より南極という極寒で人気(ひとけ)のない舞台での孤独な冒険という感じがよく出てた。

あとは色彩の妙。氷がテーマということで、青と白を基調とした色作りがされてたけど、そこに、夕焼けのオレンジや紫、カラフルな古代都市、星空の輝きがすごく綺麗だった…そこだけ注目しても何回でも観返せそう。

今日までで2回観たんですけど、2回目はもっと楽しめた。なんだか見るほどに楽しめる気がする。明日、3回目に行くつもり。



雑感はこのへんにして、以下、箇条書きでつらつらと感想を書いていきます。




・かき氷食べたくて氷山に行く。海の霧からの氷山バーン!が未知の存在という感じが出てて良い。かき氷をたらふく食べたあとののび太の「地球全体が凍ってたらいいのに」みたいなセリフからのドラえもんのスノーボール・アースの解説。のちにまた復習してくれるのが親切。ドラ「昔地球は全体が凍ったことがあって」のび太「知ってる、マンモスとかがいた頃でしょ(氷河期のこと)」ドラ「それよりずっと昔、人間も生まれる前(全球凍結時代)」という何気ない会話も、よく考えられている。そう、ぼくらは氷河期は知ってるけど、全球凍結時代のことは知らない。それをのび太が代弁してくれてるからこそ、スノーボール・アース仮説への導入がスムーズにいくのだ!

・ドラミちゃんが氷難を予言するシーン。流行に乗りやすいドラミちゃんもかわいいが、このサイエンスゴリゴリな物語のきっかけが占いという迷信(実際には統計学だけど)というのが面白い。

・氷の遊園地を作るシーンがまさかのOP!こんな地続きなOPが!めっちゃ好み!こんなやり方があるんだなぁ。氷さいくごてを使うドラのびがすごい器用だし、氷が伸びたり解かされたりするアニメーションがめっちゃスッキリするしワクワク感が絶頂だった。あとOPの入りののび太のセリフ「さすがドラえもん!」で震える。

・一瞬で崩れた遊園地。早い。なんで氷山は崩れたんだろう。まあここはご都合主義。

・リングを見つけ、氷年代そくてい機で10万年前の氷で固定されたものだと判明。全球凍結に関する本を読んでると、地質学における年代測定はめちゃくちゃ大変な作業だと記されてるんだけど、そこはさすが22世紀のひみつ道具である。

・氷山が出来る過程のドラによる解説。断面図のアニメーションがすごくわかりやすいんですよねぇ…。「水飴みたいに氷が動く」という説明にのび太が食いついて、南極に着いてからもまだ執着してるのがまたい良いのだ(さっきから良いとしか言ってないな)。
ここのアニメーション、よく観てみると、南極大陸の地面を分厚い氷の底が引っ掻いて砕き、その破片が氷に飲み込まれて海まで動き、部分的に海底に運ばれてる。いやー、すごい。細部にまで「正確」な科学的描写をしているのには感服した。なんていうか、過去にその場所が凍っていた(氷河があった)かどうかを判別するための地質学的証拠となる地層(氷河堆積物)があるんだけど、その特徴は、土砂(細かい)と礫(大きい)が混ざりあっていることで、これは重たい氷河が地面をこそぎとって動いていたことに由来してるのだ。そして、ええと、うまく説明出来ないのであとは関連書籍を読んでください。
前夜にドラえもんが押入れで調べ物(たぶん氷山や南極のことだね)をしてるのが地味に好き。今回のドラえもんは博識である。

・南極へと冒険に出掛ける5人。空き地でどこでもドアを前に「覚悟はいい?」と笑顔で問いかけるドラえもんが最高。「覚悟」ですよ!南極だからね。死をも覚悟するのですよ!「準備はいい?」とかじゃなくて「覚悟」!

・南極での犬ぞりシーンがまたいい。植村直己の北極圏の冒険を彷彿とさせるほどのガチめな感じ。極地の綺麗さと怖さを描いていた。氷河のクラックに落ちたり(死ぬ)、ブリザードに吹き飛ばされたり。ドラえもんの「ビバークしよう」が良い。ビバーク!しかも説明無し!

・テントが飛ばされたドラに対して、氷ざいくごてで穴を掘るのび太が妙に冷静。今回、のび太は冷静ポジションだね。

・のび太は冷静なんだけど、小学生らしさをしっかり持ってるのが好印象。ジャイスネも子供らしい。去年の新日本誕生は大人過ぎた。宇宙英雄記は子供過ぎた。
「映画といえばジャイアンがかっこいい」とかいう一辺倒な意見をぶち壊してくれた。ジャイアンは星空のもとはしゃぐし、カーラに対して怒りをぶつけるし、リングは地球に返せと詰め寄るし、駄々をこねて泣く。等身大の小学生だった。関係ないけどジャイスネのバンジージャンプからのタケコプターはなんか面白い。

・パオパオめっちゃかわいい。モフ~
モフスケが最初のびドラに懐いているのが、後で伏線だったことに気づく。すげー。

・カーラは気が強いけどかわいいしとっつきやすいクセの無い良いキャラ。F作品の女の子キャラに共通する天然な感じがあって良い。関係ないけど最初言葉が通じないときに「ナンダーアレワー(何だアレは)」みたいなセリフがたしか聞こえたと思う。
シェルターでヒャッコイ博士と夕飯作る時のシーン、普段からああやって狭い台所で工夫して料理しつつフィールド調査をしまくってるんだろうなというのが想像できた。ジャガイモばかり食べてるというのも、どっかの恐竜化石探しの研究者みたいで雰囲気バッチグー。こういう「らしさ」の積み重ねが至る所に出てて、監督のこだわりと丁寧さを感じた。

・パオパオダンス(豪華版)は笑う。卑怯だぞ!でもなんかかわいかった。

・コンニャクがカッチコチなのも最高。その他、色んなものが凍結してて、寒さが伝わってきた。

・地底世界の人工的な空、そしてその色の変化がすごく綺麗で怖い。夜に追いつかれるという表現も素敵。

・ヒャッコイ博士によるブリザーガの説明。ドラえもんによるスノーボール・アースの復習。
古代ヒョーガヒョーガ星人は、住めそうな星々でブリザーガを造り、その星をまず凍らせたんだそう。その理由は、一度凍らせて、解けたあとに急激な生物相の変化があるから、と。地球のスノーボール・アースのそのせい?と思わせといて、実は地球にあるブリザーガは未完成だから、それ以外の原因で凍ったんじゃないかとヒャッコイ博士。
ここ、すごくよかった。ブリザーガというファンタジックな存在を持ってきて、凍る現象を分かりやすくしつつ、地球が凍った原因は別にあると、サイエンス的フォローをしっかりしてた。実際、地球が凍った原因は大陸配置やら大気組成などが複雑に絡んでてこんな映画で解説できるものじゃないけど、説明せずともサイエンスを否定しない表現は大事なのだ。

・スノーボール・アースの後に多細胞生物が登場し、のちのカンブリア爆発へと繋がったわけだけど、それを逆手にとって、人工的に凍結をさせて生物相を変化させてから移住するという古代ヒョーガヒョーガ星人の発想はすごい。しかも、それは「なぜこんな凶悪なブリザーガという兵器をつくってしまったのか」という動機として十分納得できるもの。「住むために凍らせたのだ」「凍らせたら住めなくなるじゃんか」という問答もいい。この映画、こうしたさり気ない会話が科学的理解度を上げてくれて、観客を置いてけぼりにさせないようしっかり計算されてると思う。

・謎のボムプディング推し。全キャラが食べてボウン→プシュー→満足げな顔。元ネタはなんだ?

・ヒャッコイ博士が人形を使って過去の冒険を語っているシーンは、こうした閉鎖空間で普段からこうして楽しみながら暮らしているんだろうなぁというのが想像できた。ヒャッコイ博士とカーラも仲良さそうだし。いいよなぁ、こういうフィールド調査。

・「さがし物ステッキ」は「たずね人ステッキ」とは別のひみつ道具なんだろうな。前者は物が対象で、後者は人が対象。ピョンピョン跳ねるし、感情もありそう。

・塔にて偽ドラと対決。塔を守るペンギン像が変身した姿。巧妙な手をつくして侵入者を阻むプログラムが組み込まれてるんだろうな。ほぼ侵入者なんて来ない南極の底の底でずっと待ってたと思うと、海底鬼岩城のお魚さんを思い出す。
偽ドラになって唐突にドラのびの友情的な話が出て来て、ここだけこの映画と作風が異なるんだよな。やるなら思いっきり感情をゆさぶってほしいけど、そこはドライなこの映画なので、ジャイスネも真ドラを冷静に疑ってくるし、のび太もまた決めかねる態度。解決後ものび太は泣かないし、ジャイスネも一言謝るのみ。すげードライだな(笑)
最初にこの場所に来た時の、氷漬けのドラえもんというビジュアル見せがまずあって、それを回収するためのシーンなんだとは思うけど、ちょっとここだけ瘤のように飛び出してる気もした。
でもかなり怖いシーンであるのは間違いなく、偽ドラの表情やらかわいそすぎる真ドラやらで、近くの子供が半泣きになってた。

・時間を行ったり来たり。タイムベルトのシーンでの秒針の音が、劇場内に鳴り響いてた。

・10万年分離れ離れになったドラのび。両者が時を超えてトリックを解く。のび太の察し能力は今作すごい。
初見だと、今10万年前なのか後なのか、理解できない子供も多そうだ。でも、それは決して難解じゃなくて、数年後成長した子どもたちにぜひ見返してもらって、こういうことだったのか!となってほしい。こんなことを期待できるオリジナル作品は初めてだ。

・10万年後の地底が氷の海に閉ざされていたのは、このブリザーガとの戦いで空にあいた穴から冷たい海水が落ちてきて固まったんだろうな。でもここで固まったリングと氷が未来に氷山として外部に出たということは、この都市と外部とはどっかで繋がってるということか。

・研究者2人とドラ達のあっさりしたお別れ。漫画でいうところの2コマくらいでお別れ。ドライである。良い…。
そして誰もいなくなる古代都市。現地人が誰もいないんだなぁ。この寂しさと氷の冷たさがすごくマッチしてるんです…。

・そして屈指のラストシーン。10万光年先のヒョーガヒョーガ星が、10万年と1週間未来である現代から見えている。南極の地底深くで出会った子が、遥か彼方の宇宙で、大昔に生きていて、それを今見ることが出来るというロマンですよ。「光年」という、時間と距離が合わさった単位の魅力をこれほどまで美しく描けるとは…!!しかもそれがあっさりしてるんですよね。屋根から空を見上げるドラのびと、「精霊よびだしうでわ」を彷彿とさせるセリフ。ああ!精霊よびだしうでわ!!!!!!まじかそういうことか…!




というわけで、思い出せる範囲でつらつら書いてみました。
こう書いていると、惜しい点というのがあまり出てこないなあ。初見時は、なんか言葉にしにくいつっかかりもあったような気がするんですが、2回目はもう文句なしで見れた。たぶん、CMやら広告で「ドラのびの友情」がクローズアップされてたのが、実際は冒険色が強いというあたりで拍子抜けしたのとか、いわゆる「感動演出」が無かったから例年と異なる感覚に襲われたんだと思う。
そういう意味では異色な映画だったけど、根本はこれ以上ないくらい王道な作風(原作的な意味で)で、僕はすごくハマった。ドラえもんはサイエンス!ということを思い出させてくれた。

鑑賞後、カチコチの良かったところを考えていたら、どんどん前作の新日本誕生の好きじゃないところが見えてきてしまって。なんというか、新日本誕生は最高だったんだけど、キャラの感情がウェットすぎるし、頬染めすぎだし、大人過ぎて小学生らしくないというあたりが実は自分は嫌だったのかも、と思ってきてます。カチコチはそれと対極にいってるから。
どの映画にも好きな場面と嫌な場面、好きな表現と嫌な表現はあるので、一言では言えないし、新日本誕生は全体として好きな映画なのでこれ以上語ることはやめとく。でも、このウェットが当たり前な昨今の映画ドラえもんで、ここまでにドライな映画を造りきったというのは本当にすごいし、これからの可能性も広げてくれたような気がする。本当に良かった。あと5回は観に行く!



最後に、来年の映画ですけど…海賊と航海がテーマ。
「南極カチコチ大冒険」のあとに「南海大冒険」だとギャグにしか思えないし、F先生の没後作品をそのままリメイクするというのはあり得ないと思う。やるなら、短編「南海の大冒険」を元にした、別方向でのオリジナル作品になると思う。それはそれで楽しみかも。新大魔境、新日本誕生と、原作そのままのリメイクが続いてた(どっちも八鍬監督じゃん:悪口ではないけど)中で、リメイクでもオリジナルでもないような作品がここで登場…と。また新しい感覚で映画を見れるような気がしてる。監督は今井一暁さん。

でも、これで海底鬼岩城のリメイクがまた遠ざかったと思うと、それはそれで残念かも。まあいつかやるでしょう。
といいつつ、来年のは海底鬼岩城+南海大冒険の折半のような内容だったらちょっと面白い、とかなんとか。

南極カチコチ大冒険

パラレルソレイユ#7 冬コミ

こんにちは!イセです。

今年も、藤子不二雄トリビュートマガジン『パラレルソレイユ』第7号の執筆陣として
冬コミに参加します!

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イベント:コミックマーケット91
頒布日:2016年12月30日(金)
スペース:2日目・東テ-19a
ページ数:約100ページ
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■表紙

なななんと、第7号では表紙を担当しました!

テーマは藤子不二雄(A)作品『まんが道』です。
既刊と比べ圧倒的キャラ面積の少なさ!風景画メインで攻めてみました。
この表紙にピンと来た方はぜひ手にとっいただければ幸いです。


パラレルソレイユ#7_表紙


表紙の担当は第1号以来3年目です。
この合同誌が生まれてからもうそんなに経つんですねぇ。


自分の絵のタッチはもとより、
高岡のふるさとギャラリーの開館やてんコミ新装版の相次ぐ発行など
藤子界隈の環境も目まぐるしく変わったように思います。
次に私が表紙を担当する頃はどうなってるんでしょうね!



■寄稿記事

本誌の内容について、
『全球凍結
仮説入門』というタイトルの、学習まんが6ページを描きました。

2017年春公開の映画『南極カチコチ大冒険』のキーワード「スノーボール・アース」が
気になって仕方がなくて、関連書籍を読んだのですが、
それをまんがにしてみたものです。

ドラえもんとのび太と一緒にスノーボール・アースを学びましょう!
全球凍結仮説入門


全球凍結仮説_コマ



冬コミ当日は残念ながら会場には行けませんが、遠方より、大盛況を祈ってますので
みなさんぜひとも本誌を手にとって楽しんでいただければと思います!

ではでは♪




パラレルソレイユ#6

こんにちは、イセです。

この夏もコミックマーケットにて、藤子不二雄の合同誌「パラレルソレイユ」に参加します!
なんと第6号なんですね~。
毎度管理・運営・編集してくださる主催のひぐちあき氏に感謝でございます。

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イベント:コミックマーケット90
頒布日:2016年8月12日(金)
スペース:1日目・東メ-40a
価格:600円
ページ数:90ページ
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→ 詳細はひぐちあき氏のブログ「新奏図録」にてご確認ください。


私は自分自身の体調不良の問題もあって、寄稿できるか不安でしたが
なんとか絵がかけるまで回復しました。。。
「FUJIKO・F RACING」「ぼくらの戦場」の2点、イラストを寄稿しております。
私らしいイラストに仕上がってると思いますので、どうぞお楽しみに^^

8月12日はパラレルソレイユのブースにてスタッフ側として参加する予定です。
当日、会場でお会いしましょう。

O次郎







史上最大の家出へ!映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生を見てきたの巻

3月5日、ついに今年もお祭りがやってきた。
映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生の公開日。

ドラえもんの映画を初日初回に見に行くようになったのはいつからだろう。
幼き日からドラえもんを追い続け、歳を重ね、2011年ごろから同志との交流を重ねるにつれ
どんどんドラえもんという作品にのめり込んでいる自分がいた。


というわけで公開初日初回に見てきた。
鑑賞後、あまりにも素晴らしすぎる内容に放心してしまい、
泣きながら笑って、焦点の合わない目で天井をぼんやりと眺めていた。

傑作がまたひとつ、生まれましたね。

細かい感想はTwitterに書き散らしてるので、とりあえず置いといて、
今回の記事には全体として思ったことを備忘録として書いておきたい。


1.表情やしぐさ
とにかくキャラクターの表情と動きがダイナミックだった。
のび太の泣き顔、ククルの決意の目。ワンパク三人組でやいのやいのするときのジャイアンの筋肉描写。とにかく見てて面白い。
表情なんかは、画面いっぱいに顔がうつるレイアウトが多用され、より強調されていた。
これ、今までのドラ映画であまり見なかったように思うのだけれど、そこも八鍬監督らしさなのかもしれない。


2.服装
今回、現代世界の描写は3日分あるが、それぞれ5人が違う服を着ていた。のび太に限って言えば、白服(腕にライン、胸に「N」)→黄服→水色服(胸にボーダー)という変化である。

日がかわっていることがよく分かるし、何より視覚的に楽しい。
しずかちゃんの2日目のピンクパーカーのかわいさといったら。

そういえば新・大魔境でも、のび太は黄色、赤色、水色の3色を着ていた。
八鍬監督は服にこだわりがあるんだろう。着たきりスズメが嫌なぼくにとってはとっても嬉しい。もっとやれ!


3.恐竜2006へのオマージュ
日本誕生という作品は、作者にとって新たなスタートをきる節目の作品であり、第一作目の恐竜の焼き直し的な意味合いをもつものである。
ペットとの交流、長距離移動、時間犯罪者とのバトル、その他細かな台詞の言い回しにもあきらかに恐竜を意識したであろう部分が随所に見られる。

で、新・日本誕生はどうだったか。
なんと恐竜2006のオマージュが盛りだくさんだった...!なんという粋な演出だろう。
家出を懐かしむのび助の優しい語り口調、
タイムマシンでのドラえもんの歯茎(当時衝撃的でしたね)、
中国大陸へ出発する時の主題歌オーケストラ版BGM、
スネ夫「食べるならジャイアン」、
T・Pの役割の低減という改変、
のび太「ぼくもがんばるからね!」
最後のT・P艦の時空移動の仕方。

「ぼくもがんばるからね!」は泣くわ。泣くよおおおお

あれから10年が経った。新しいドラえもんが始まってから色々と変わったところもあるけど、あの時のDNAが脈々と受け継がれているんだと感じることができたしぼくもがんばるからあああああああああああ!!


4.家出にはじまり家出に終わる
原作・旧作では、ペガたちとのお別れで締めくくられるが、新作ではきちんと家出で締めくくられていた。それだけじゃない、物語の随所に、のび太がまだしっかり家出中なんだと強調されていた。
ママの心情の丁寧な描写だけじゃない、のび太が遭難したときの幻覚シーンもそうだ。のび太が何のために家出をしたか、何をしようとしたか、そして、最後に何を得られたか。
原作にはない、けれども行間にはきっとあるものを、八鍬監督はしっかりと読み解き、今作に昇華した。

「ちょっと試したかっただけなんだ。」
雪に埋もれていくのび太を見ながら、僕は脳みそがどっかに持って行かれそうになるのを感じた。


5.原作にあるもの同士を結びつけること
ジャイアンの「俺はかあちゃんの奴隷じゃねーっつうの!」が伏線になるなんて誰が想像しただろう?原作では単なるかあちゃんの理不尽さとジャイアンの反発を表す台詞でしかなかったはずだ。
今作では、終盤、ヒカリ族が奴隷としてクラヤミ族に酷使されているに対し、救済のため思わず飛び込んだジャイアンの動機に結び付けれた。
「奴隷だけはゆるさねえ!」
かあちゃんへの台詞も、助けに飛び込みジャイアンの行動も、どちらも原作通りである。しかし、加えられた「奴隷だけはゆるさねえ!」により、両者が結びついた。
なんなんだ、八鍬監督...神様なんでしょうか....

今回、このような、原作にあるもの同士をむすびつけるための仕掛けが随所に追加された。さりげない台詞であったり、キーアイテムであったり。
家出、ペット、日本の歴史という要素が、こものすごく強固なつながりを持つこととなった。4章ともかぶるが、家出にはじまり家出におわるという大枠のなかに、うまく全要素が溶け込んでいた。
八鍬監督の日本誕生の読み込み量と再解釈のすばらしさに感謝の気持ちしかない。


6.T・P
まさかまさかのリーム、ぼん、ユミ子の特別出演だった。
3人のうちリームだけちょっと歳食ってる感じだったけどそこはどうでもいい。
T・Pぼん好きのぼくは発狂しそうだった。

単なるファンサービスとしての登場だったらここまで発狂はしないだろう。
映画ドラ他作品におけるT・Pの役割、すなわち「時間犯罪者を逮捕すること」であればT・Pがリームたちである必要はない。
しかし今作は、ペガたちがいる。ペガたち空想動物は、どの時代にもいてはならない存在。その説明をのび太に“無表情で”するT・P。その役割にリームほどの適役がいるだろうか?

T・Pぼんという作品において、T・Pの仕事は「歴史に影響しない範囲で人助けをする」というものである。その遂行のために、時に感情を捨て、一見冷酷なことをしなければならない場面がある。

ペガたちと暮らしたいのび太。
その気持ちは重々承知のうえ、それでも彼らを引き離さなければならないT・Pとしての任務。グラスの向こうにある、リームの心境がよく伝わってくる。そして、のび太が決別を決意したあとのグラス外しからの、少年の目線に合わせてしゃがみ、包み込むような目で対応するリームうううううううううううううううううううううううううううう!

泣くわ。

このへんの感情のコントロールや当事者とのやりとりがうまいからこそリームは隊長に昇格したんだろうな、とか妄想は広がる。

ついでにもうひとつ、
感情を押し殺して説明しなければならないシーンにおいて、グラスは重要な意味を持ってくる。T・Pぼん原作の前半にあって後半にないシリアスさは、グラスの賜物と言っていいだろう。
そういう意味において、新・日本誕生において、リームにグラスをかけさせたのはすばらしい判断だったと思う。加えて、リームがのび太にペガたちのことを語りに行くシーンのリームの無表情に加え、後ろに待機しているぼんとユミ子が帽子のつばをキュッと下げ、目を隠すしぐさ。ここに、八鍬監督がT・Pぼんも読み込んでることを確信した。

単なるファンサービスではなく、T・Pぼんの新作を作る勢いで彼らの物語をも丁寧に描いた監督に感謝しかない。

7.オープニング、エンディング
大杉監督、金子さんのパワー全開!だった。
これほどまでにOP、EDの両方に力の入った作品がこれまでにわさドラであっただろうか?
本編もさることながら、全部合わせて、わさドラスタッフ総力をあげて傑作をつくっていこうという気概を感じた。すごすぎた....。




とまあ、なんだかすごい映画を見てしまった。感想が「八鍬監督に感謝」に全部収束してて我ながら笑ってしまうが、そうなのである。
新・鉄人兵団で、わさドラの頂点を見た気がしていたが、まだまだなんのその、進化し続けるドラえもんを見ることが出来て、これからのファン人生がもっと楽しみになった。


今年は何回劇場に足を運ぶことになるんだろう。


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